映画、ディズニー実写版「リトル・マーメイド」をみてきました。
アニメのアリエルは白人ですが、実写ではアフリカ系アメリカ人の歌手ハリー・ベイリー(黒人)が演じました。
この映画には賛否両論があり、特にアニメのアリエルが大好きなファンにとって、黒人のアリエルはイメージが異なり過ぎるという否定的な意見もあります。
わたしはフロリダのディズニーワールドにもいくほど、ディズニーが大好き!
今回はなぜディズニーはイメージの異なるアリエルを実写版に起用したか、わたしなりに考察してみました。
ネタバレを含みますので、これから映画館に行かれる方は、鑑賞後に続きをご覧ください。
リトル・マーメイド実写版は、先入観なく穏やかに見て頂けたらと願っています。
ハリー・ベイリーの歌声は今もわたしの心に響いて離れません。本当に素晴らしかった。
ぜひ映画をみて、今の時代のディズニーの挑戦を感じてきてください。
白人のアリエルが黒人に
わたしは「癒しとトキメキ」を求めて、実写版リトル・マーメイドをみたんです。
実は、是枝監督の映画「怪物」をみようと思っていたのですが、考えさせられる深い内容だと知り、ここ最近疲れていたので、あまり頭を使わない映画を希望。
ディズニーなら、必ず心が癒されると思って。
実際、映画の冒頭にあった、アンデルセンの言葉で一気に心を動かされました。
「人魚は涙を流せない。だから、よけいに辛かった」と。
そこに、ハリー・ベイリーが歌う“Part of Your World”で、早速涙…。
物語のあらゆる場面で、この曲が隠れるように少し流れるんです。
ディズニー音楽のレジェンド、アラン・メンケンとリン=マニュエル・ミランダの黄金コンビの編集のすごさなのかな。
リトル・マーメイドファンのひとりとして、これほど見事に歌い上げてくれた彼女は素晴らしかった。かっこよかった。
違和感は、ディズニーの挑戦
しかし、物語に没頭できなかった。
本来なら、映画の世界に浸って、悲しかったり嬉しかったりするものだと思うんです。
けれど、多くの人が意見するように、物語以外の要因で違和感を抱くことに。
・アニメからかけ離れたイメージのアリエルにした理由は?
・王子の母は黒人で、王子は養子という設定にした背景は?
今回ディズニーは方向性を、本質を、間違えていないだろうか?
話題に上がることが年々増えてきたポリコレに対して、挑戦することも、表現することも、もちろん時代に合わせたことだと思う。けれど、それはアリエルですることなんだろうか。
ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス/political Correctness)は、特定のグループに対して差別的な意味や誤解を含まぬよう、公正で中立的な表現をすること。
わたしたちファンは、アリエルに夢が、憧れがあって、長年の思い出がある。
挑戦するなら、新しいキャラクターでもよかったんじゃないだろうか。
海の底にいる青白い美しい人魚、太陽から一番遠い存在であるにも関わらず黒人を採用したことが、海底イメージから大きく遠ざかったことも要因のひとつ。
それが、違和感。
見た目を差別しているわけではなくて、違和感。
セーラームーンが実写版で黒人だったら、やっぱり違和感。
南の楽園に住むモアナが青白い女の子だったら、やっぱり違和感。
ディズニーがアリエル役に黒人を起用したのは、ただ、アリエルにふさわしかった人物が黒人だっただけのことだと。
ディズニーは批判を覚悟で、今の時代に向けた作品を世に出した、挑戦したんです。
現にアフリカ系の女の子たちは、ハリーがアリエルを演じたことを誇りに思い、どれほど喜んだことか。
ハリーは「少女たちがアリエルに自分を重ね、憧れるように見てくれる姿を見て、私の中の少女を思うとともに、癒される思いがしました。ですから、とても大切です。少女たちの反応を見ると、今でも涙が出てきます」と語っています。
歴史を変えていく大きな挑戦であったことは間違いないのです。
「Black Lives Matter」から3年
2020年5月、まだ記憶に新しい「Black Lives Matter」アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為。
人種差別は根深くて、日本で産まれて育ったわたしたちには、想像もできないようなことが世界では起きている。
ディズニーの挑戦は今だからこその挑戦かもしれない。
アニメのアリエルを再現するのではなく、新しいアリエルの誕生になったんだとわたしは思うのです。
だからこそ、ハリーがアリエルを演じることを応援したいし、尊重したいし、全力で素晴らしかったと言いたい。
一方で、わたしの憧れだったアリエルの世界が違ったものになってしまった寂しさや悲しさや、言葉にすることが苦しくなるような気持ちが同時にあって…。
ディズニーファンとして映画を夢中で楽しみたかったのに、ディズニーは何を意図としてこの映画を作ったのかということが気になってしまった。
きっとわたしだけではないはず。ディズニーはそれでもよかったのだろうか。
考えすぎることの障害
わたしは必要以上に考えてしまうことに、ここ最近危機感を覚えている。
わたしが映画を心から楽しめなかった理由の最大の原因は、考えすぎであるから。
アリエルは素敵な女性なんだから、王子の母が黒人でもそうでなくても、受け入れてもらえただろう。
それなのに、なぜ製作者はあえて母を黒人にしたんだろうか、その意図は?とかいちいち考えなくてよかったのだ。
考えすぎることは、今を楽しめないことに繋がる場合がある。
それを、リトル・マーメイドを通してわたしが思ったこと。
考えすぎない自分も、また必要なんだって。
映画を見終って心の違和感を分解しながらも、鼻歌は“Part of Your World”で、
「あ~最後、ふたりはボートに乗ってどこに行ったんだろう?」
最終的に結末がよくわからなくて調べてみると、どうやらふたりで新しい世界へ旅立つということらしい。
アンデルセンの原作では、お姉さんたちが大事な髪と交換したナイフで王子を殺せばアリエルは助かるという話。
最後、王子を刺せなかったアリエルは泡になって消えてしまうんだけど、お姉さんたちの妹を思う場面が特に好き。
泡になって消えるという結末が、幼い頃にとても衝撃だったのも覚えている。
子どもの頃に原作を愛して、アニメのリトル・マーメイドに憧れて、今の時代の実写版をみて、やっぱりリトル・マーメイドはわたしの歴史にずっといるんだなって。
白人の人魚姫が黒人の人魚姫になっていたとしても、その逆になっていても、そもそもそこに引っ掛かりや違和感すらなくなるような未来になればいい。
変化も表現も自由、あくまでもイメージや憧れは個人のものなんだから。
わたしも柔軟に受け入れて、これからも愛する作品がたくさん生まれていくことを願っています。
では、また。
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