こんにちは、Yumiです。
1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災。
今日で27年となります。
子供たちの明るい未来のために、忘れない。
今思うことを、わたしの言葉で。
#We will never forget 1.17
今でも昨日のことのように
震災の日、わたしは大阪の実家にいました。
大阪市内でも大きく揺れてテレビが倒れてきたので、
すごい事になっていると恐怖を抱いたことは、
昨日のように思い出すことができます。
※一部を被災したままの状態で保存するメモリアルパーク
(神戸メリケンパークにあります)
父は震災の日から、まったく家に帰ってきませんでした。
何をしていたかと言うと、
毎日バイクに乗って支援物資を神戸に届けていたのです。
何時間も何時間もかけて、ただただ往復を続けていました。
ある日は水のペットボトルを、ある日はガスコンロを。
高校生だったわたしには何もできることがなく、
何も、まったく何も、できなかった。
その後、神戸の人と結婚をしたので、
震災のできごとを義理の母にたくさん教えてもらいました。
当時学生だった夫は、大きな本棚が倒れてきたのですが、
ベッドボードに引っかかり、かろうじて助かりました。
しかし多くの知人、同級生が亡くなっています。
何日もお風呂が入れず、
やっと近所のお家でお風呂が入れることになった日の、
その安堵感と喜びは忘れられない、と母は言いました。
その当時のリアルな出来事を、
わたしは勤務先の朝礼で毎年1月17日にスタッフに伝えました。
人数の多い部署に配属になったときは、
当時の話を50人くらいが涙を浮かべ聞いてくれました。
わたしには当時何もできなかったけれど、
その想いを母から引き継いで伝えることはできる。
今もその想いは変わりません。
「阪神淡路大震災1.17のつどい」
昨年の2021年12月のこと。
コロナ禍で「神戸ルミナリエ」が中止となりました。
神戸ルミナリエは、
阪神・淡路大震災犠牲者への鎮魂の意を込めると共に、
都市の復興・再生への夢と希望を託して、
震災の年にはじまりました。
その代案として、過去のルミナリエ作品の展示が行われました。
そのメインの場所となる「東遊園地」。
そこでの展示内容は、
震災の年に初めて行われたときの「希望」。
多くの方がここで今もやり場のない思いを胸に、
涙する姿を目の当たりにしました。
詳しくはこちらの記事を↓
東遊園地は毎年「阪神淡路大震災1.17のつどい」をする場所です。
人の想いを強く感じてしまうわたしは、
1月17日にここにどうしても行くことができませんでした。
人々のつらい悲しい想いをダイレクトに受けてしまって、
そのあと数日かなり引きずるから。
実際、ルミナリエの代案イベントで訪れたときも、
その後涙が止まらず、
多くの人の苦しい思いを受けてしまいました。
けれど今日やっと、
やっと1月17日に足を運ぶことができました。
5時46分には行けませんでしたが、
自分の意思で、自分の足で向かいました。
ランニングで行ったのです。
お昼すぎでしたが、多くの方が祈りを捧げていました。
わたしも募金をし、手を合わせ、
静かに目を閉じて祈りました。
ウイルス、温暖化、震災…
これからの未来に、いろんな不安があるかもしれない。
地球、そして子供たちのために、
わたしたちは今できることを考えて、考えて、考えて
行動するだけ。
そして、当時の神戸に住んでいた人たちが、
自分は何もできなかった…
無力だった…
と、今でもその無念さに苦しむ人が多くいます。
その多くのひとたちが、
どうかどうか、救われますように。
阪神淡路大震災から27年、
心よりご冥福をお祈りいたします。
では、また明日。