人には向き不向きって、間違いなくあると思っています。
ある程度のことは努力や経験でなんとかなるものですが、
不向きなことはどれだけ時間を割いても、向いていないんだから向上しない。
わたしは今まで「努力」でほとんどのことをやりとげたタイプですが、どうしても無理なことが「車の運転」です。
わたしの夢が叶わない挫折経験と教習所での恐怖体験について書きました。
お時間があればお付き合いください。
わたしの夢は「カッコいいおばあちゃん」
わたしは運転免許を36歳の時に取りました。
学生のときに取得しなかった理由は、都会に住んでいるので車の必要性がなかったこと、車は男性に運転してもらえばいいと思っていたことです(笑)
しかし30代で子供ができたタイミングで我が家も車を購入しました。
夫がいなくてもわたしが運転できたら、子どもとどこへでも気軽にいける。
なにより老後に自分で運転ができれば、オープンカーをバリバリ乗りこなすカッコいいおばあちゃんになれるんじゃないか、そう想像したら夢が膨らみました。
オープンカーにのる妄想が止まらなくて、老後のために教習所に通うことにしました。
思い立ったら、すぐ行動。
行動するまでモヤモヤするタイプなので、すぐに調べて申し込みをしました。
「すぐ行動」はわたしのいい所でもありますが、悪いところでもあります。
まだ下の子が赤ちゃんでした。
赤ちゃんを連れて毎日の教習所、せめて幼稚園児になるまで待てばよかったのに。
人生最大の恐怖体験、自動車教習所
赤ちゃんを連れて教習所へ通う日々がはじまりました。
教習所に無料託児所があるので、赤ちゃんは預けることができます。
そして、預けられることになった我が子は毎回大号泣です。
行きの送迎バスから泣いています、ママの勝手な思いつきでごめんね。
教習所で人生ではじめて自分でアクセルを踏んだときのこと。
直感でわかってしまいました「あ、違う、まちがった」と。
わたしは車を運転してはいけない人だと、その瞬間に確信しました。
理由はありません、ただダメだと直感したのです。
けれど大金を払ったのであとには引けず、とにかく通いました。
向き不向きをこれほど感じたことはありません。
毎日教習所に着くまで、ストレスでお腹が痛くてたまりません。
そこでさらなる不幸が、最悪なおじさん教官です。
まくしたてるように次から次へと注意点を言いまくり、ハンドルに置く手の位置が少し違うだけでもものすごい勢いで注意します。
わざと生徒をパニックに陥れるような指導をしているとしか思えません。
あまりに追い込んでくるので手が震えてきて、なぞにアクセルを強く踏んでしまいました。
自分が死ぬところでした。
これは若い学生にも繰り広げている指導であり、若者がメンタル崩壊するなぞのシステムです。
10代でこのおじさんに指導されたら、運転に恐怖心が植え付けられる上、命を守る方法だとかなんとか正論を言われると文句ひとつ言えない。
(このような教官はここだけではなく、多くの教習所であることだと後で知りました。)
わたしは立派な大人だったのですぐに受付で言いました。
「この教官から指導されたくありません」
するとちゃんと外してくれるシステムがありました。
そこから違うおじさん教官が担当になったのですが、このおじさんがわたしの救世主です。
ハンドルの手の位置なんて気にしなくていい、運転がちゃんとできていればいいことだから、と丁寧に指導してくださいました。
ここからはわたしのド天然に、その教官が付き合わされる日々がはじまりました。
緊張していて手に汗をかくので、信号待ちのたびに「手が滑ります」といって焦っているわたしを大丈夫となだめます。
ライトがビームになっていたようで教官が「ライト消してくれる?そこ引っ張るだけだから」という言葉の理解ができず、ハンドルを必死に引っ張って…失笑。
踏切の練習では「音の確認をします、横の窓を開けてくれる?」という教官に、
わたしは間違えて左後ろの窓をあけ、次は右後ろの窓をあけ、次は教官の横の窓をあけ、
「遊んでるの?」と言われる始末…。
左後ろの窓を見て、と言われても違うところを見ているし、ベテランのやさしい教官だとしても、かなり大変だったと思います。
わたしに会うたび「また来た」みたいに笑っていますから、相当だったと思います。
けれど、わたしはその教官のおかげで一発合格することができました。
今思い出しても、毎日本当に大変できつかった。
教官のおかげでなんとか通えましたが、運転が楽しいと思ったことは一度たりともありませんでした。
向いていない、不向きとはこのことです。
免許を取ったその後
自分でいうのもなんですが、学生時代の部活も仕事も、自分で決めたことは誰よりも努力して時間をかけて習得してきました。習得できてきたのです。
運転免許を取ったあとも、自宅の車でたくさん練習しました。
子どもが幼稚園に行き出してからは、午前中に車にのり練習をして、夫がいるときは広い場所で駐車の練習もして、夫の横で高速に乗ったりコストコに行ったり。
しかし、いつまでたっても上達せず、ぶつけるすれすれの運転です。
ついに夫がギブアップしました。
命より大事なものはない。
毎回毎回、死と向かい合わせの運転練習に何の意味があるのでしょうか。
そこから、わたしは運転を辞めました。
オープンカーをバリバリ乗りこなすおばあちゃんには、なれませんでした。
「運転」はわたしが唯一努力しても手に入れられなかったことです。
これだけ時間をかけたのに、悔しいです。
教習所であれほど親身に指導してくださった教官にも申し訳ないです。
けれど、わたしは無事にいま生きているし、実は気付いたことがあります。
運転を諦めてから、ランニングに出会いました。
自分で走っていけばいいやん。
駐車場代いらないし、人の命を奪う可能性は運転するよりはるかに低いです。
10キロくらい余裕で走れるようなったので、区役所とか銀行などいろんな用事はランニングでいけます。
人生って、なんとかなる。
これがわたしの代案であり、人生うまいことできてるな、と納得した経験です。
まとめ
車の運転の話だけで、2,757文字も書いてしまいました。
読んでくださった読者様、ありがとうございます。
自分には向いていないことは、他に向いていることがあるということ。
わたしはランニングに出会えたことを、人生の喜びだと思っています。
春が近づいて、あたたかい風と強くなってくる太陽。
きれいな色とりどりの花や木々を眺めながら走るしあわせ。
ふと目に止まった知らないパン屋さんだったり、アイスクリーム屋さんだったり、
走らないと出会えなかったことを、わたしは感じることができています。
うまくいかないときは、うまくいく前なのです。
では、また明日。
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