今日、兵庫県立美術館で衝撃的な映像をみました。
ただ、ただ、地面に線を引くだけの映像です。
彼女はただ線を引き続けました。
意味のないことは、意味がある。
その映像のお話しと、わたしの感想です。
柳瀬 安里「線を引く」
兵庫県立美術館では、大きな展覧会「特別展」と小さめの展覧会「コレクション展」があります。
今回は、コレクション展でみた映像について。
コレクション展は、いろいろな方の作品が集まっているのですが、その中に「絵」ではなく「映像」の作品がありました。
柳瀬 安里「線を引く」 2015-2016年
36分58秒の映像。
柳瀬 安里(やなせ あんり)さんは、はじめから最後まで、ただ線を引いています。
長いチョークで地面に線を引きます。
京都の映像と、東京の映像がありました。
京都では、山道を葉っぱをのけながら線を引いて、階段も丁寧に線を引く、歩道も、砂利道も。
みんなが不思議そうに見ます。「なにしてんの?」と声をかける人も。
彼女はただ「線を引いています」とだけ、答えます。
東京では、戦争反対デモの最中。
戦争反対のプラカードを持った人混みの中を、やっぱり彼女はしゃがんで線を引きます。
人が多すぎて、何度も止まります。ついため息。チョークも人に踏まれます。
それでも、人と人のあいだに一生懸命、線を引きます。
チョークは最後の最後まできっちり使って、また新しいものをリュックから出します。
デモ中なので、警察官がたくさん出動していました。
とうとう彼女は警察官に目を付けられました。
「何をしているんだ?」
「線を引いています」
パブリックスペース(公共の場)なので落書き扱いとされ、やめるように言われました。
すると彼女はどうしたと思いますか?
彼女は、自分の指で線を引き出したのです。見えない線を。
人差し指で、またずっと線を引きます。
夜になりました。
線を引いているので、立ってまたしゃがんで、それを一日中しているのですから、足はもうパンパンです。足を叩きながら、線を引き続けます。
きっと指もすごいことになっているに、違いありません。
なぜ線を引くのか。
彼女は理由を言いません。
「線を引いているだけです」
デモ中なので、警察官があらゆる場所にいるため、また声をかけられました。
しゃがんでいる体勢をみて「具合が悪いのかと思われる」と言われ、
彼女は「じゃあこれならいいですか?」と中腰で線を引こうとします。
彼女の引かない意思の強さに困りつつ「どこまで行くんだ?」と。
警察官が離れてくれず、とうとう「角を曲がるところまで」という話で決着がつき、彼女はそこまで警察官と進むのです。
そこで、フィニッシュ。もう真っ暗です。
のちに、彼女は(複雑かつ曖昧な世界と出会うための実践)という言葉を残しています。
いつもより低い姿勢で、前ではなく下ばかりを見ながら、
人と人の隙間や日常と政治の隙間、
賛成と反対の隙間を素早くすり抜けようと試みた
わたしが思うこと
わたしはメインの特別展を見に行ったので、この作品があるコレクション展はたまたま入りました。
コレクション展は軽くみる予定だったのに、この映像がある半個室のようなスペースに入った途端、動けなくなりました。
36分58秒。
ただ、ただ、彼女が線を引きながら進む映像。
ここはどこ?あなたは誰?
どこにいくの?なぜ線を引いてるの?
終わりはいつ?線を引くのは終わるの?
内容を知らないので、わからないままわたしはひとりで全部見ました。
映像では音声がはっきり聞こえず、警察官とどのような会話になっているのか、わからないのです。
多分、会話がはっきり聞こえないようになっているのは、言葉に意味を持たせないためだと思いました。(わたしは英語字幕が下にあったので、その文章から会話を読みました。)
途中から、ただ線を引いているだけだと知って、応援したくなりました。
中腰やしゃがむこと、ずっとその状態で進み続けることが、どれほど身体にこたえるのか想像できます。
顔いっぱいに汗をかいて、何度も足を叩いて、それでもやめないんです。
今の時代に、こんなに意味のないことをしている彼女の姿をみて、
なぜかすごく涙が出ました。
傍から見たら、迷惑でしかないでしょう。
警察にも注意されて、地球に落書きしているんですから。
寄りによって、デモの日にしなくっても。
わざわざ誰も見ていない山道に線を引かなくっても。
いろんな疑問が溢れだすんですけど、それでも線を引くという行動に意味はないんです。
彼女がしたかっただけ。
それは、相当な根性がないとできないこと。
それでも、彼女がした「線を引く」ということを通して、わたしのように意味のないことに意味を感じて涙した人がいる。
きっと、たくさんの人の心になにかが届いた。
だからこのような大きな美術館で、展示されているんですよね。
ぬいぐるみに意味はない
先日、我が子に尋ねたことがあるんです。
「ベッドに置いているぬいぐるみ、意味あるん?」と。
ベッドと壁のスキマに押し込んだような定位置なので、必要ないのかな?と思ったのです。
すると、こう言いました。
「ぬいぐるみに、意味はない」
そうなんです。大事にしているぬいぐるみという存在に、意味なんてないんです。
ただ、大事なだけ。
意味を問うた自分を恥じました。そこにいるだけで安心して眠れるんだから、意味なんてなくていいんだと。
年齢を重ねていくと、経験が増えて、知識も増えて、なぜか答えを出そうとする。
答えのないものは多いし、答えが出なくてもいい。
好きな人も好きなものも、好きな理由がなくてもいい。好きなんだから。
他人から意味のないことだと思われてもいい。
そんな純粋な気持ちを、忘れずに年を重ねたいって、今回の作品を通して感じました。
意味のないことでも、どこかの誰かはわかってくれる。
これからの子どもたちにも、そんなことを大事にしてほしいな、と。
柳瀬 安里さんの「線を引く」、この動画は調べたけれどYouTubeにはなかった。
みなさんにもぜひ見て欲しかったので残念ですが、わたしの文章だけで想像する「線を引く」も、あなたの何かのヒントになるかもしれません。
あなたは意味のないこと、していますか?
では、また。