1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災。
今日で28年、6434人が亡くなりました。
神戸では、毎年1月17日に「阪神淡路大震災1.17のつどい」を、神戸市中央区の東遊園地で行っています。
わたしも昨年同様、東遊園地へランニングで行き、祈りを捧げてきました。
子供たちの明るい未来のために、忘れない。
今思うことを、わたしの言葉で記録しておきたいと思います。
阪神淡路大震災1.17のつどい
昨年は、震災当時の記憶を辿ってブログを書きました。
東遊園地へは昨年同様、1月17日に走って足を運ばせていただきました。
毎年、心が締め付けられるような「苦しさ」をこの場所で感じるのですが、それでも手を合わせ、祈りを捧げ、募金をします。
わたしにできる唯一のことだから。
何もできないけれど、少しできることがある。
震災の時、わたしは大阪に住んでいました。
現在は神戸に住むようになり長い年月が過ぎましたが、大阪から来たわたしを神戸という場所と神戸の人は快く受け入れてくれました。
わたしが新たに人生をスタートさせた地が神戸です。
毎年、いろんな方がわたしに当時の思いを話してくださいました。
「真っ暗で、みんな家に押しつぶされて、血まみれで、地獄絵図のようだった。生きていることは、奇跡だと思った。」
たくさんの想い、言葉ひとつひとつ、じんわりと伝わってきます。
多くの人が、深い悲しみを経験し、今を生きています。
大好きな神戸の人々、すべての人の悲しみがどうか救われますように。
阪神淡路大震災から28年、
心よりご冥福をお祈りいたします。
生きるということ
昨年の12月24日、わたしは同級生の友人を亡くしました。
年始に悲しい知らせを受けたのです。
コロナもあり同窓会もなく、連絡も取っていなかったので、知らせてくれた友人とも久しぶりの会話となりました。
知らせてくれた友人は、多くの同級生に連絡を取り、つらい日々だったと思います。
それでもわたしと「久しぶりに話せたことが嬉しかった」と言ってくれました。
懐かしい縁を繋いでくれた亡き友人に感謝、と思ったのですが、感謝という言葉に違和感を感じました。
今年の1.17つどいの言葉は、むすぶ。
わたしは、懐かしい縁を結ばなくてもいいから、彼女にはどこかで今も元気で生きていてほしかった。
わたしと近くで繋がってなくてもいいから、一緒に歳を重ねたかった。
でも、そうはならなかった。
感謝という言葉の裏は、感謝したくない。
ただ、生きていてほしかった。
これから先、わたしだけが歳を重ねるのです。
時間が何かを導いてくれるまでには、時間が足りなさ過ぎて、何も答えは出ていないのだけれど…
「むすぶ」とは、
今感じているような失うことの恐怖や悲しみを通して、生かされていることを過去から未来への自分に繋いでいるのかもしれません。
悲しみの中、今年も1.17を迎えました。
生きるということは、生かされているということ。
今したいと思うことはしたほうがいいし、
選択に迷ったら「楽しい」を選んでいいし、
寄付とか募金とかできることはしておきたいし、
やっと会えた友人とは必ずハグして喜びを分かち合いたい。
そういう当たり前なことこそ、幸せなのだと感じる「今日」という日です。
阪神淡路大震災1.17のつどいに参加したくてもできない人も多くいる中、わたしは走っていける距離に住み、参加する時間があり、募金するお金があり、こうしてブログでその思いを伝えることができます。
いつかわたしの子どもが大きくなったら読んでくれるかもしれないし、わたしよりも若い世代の方が読んでくださるかもしれない。
#むすぶ
震災の経験や命の尊さを、次の世代に引き継ぐことであり
今を生きている人同士で繋がり助け合うことであり
過去の自分と、未来の自分を繋ぐことでもある
命の尊さを忘れずに、今を生きる。
悲しみは癒えることはないかもしれないけれど、今日この場に足を運べたことで少なからず救われ、深く考える機会を与えてくれた今日という日もありがたいことなのだと、感じています。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
では、また。