コロナにより海外旅行に行けない数年を過ごしてきましたが、今年に入り少しずつ再開されているようですね。
海外旅行はできれば若いうち、特に学生時代に多くの国を巡っておくことで価値観が大きく変わり視野が広がります。
今回はわたしの社会人1年目と2年目の海外旅行での経験と学びを、ご紹介したいと思います。
わたしは英語が得意ではなかった上、全く英語ができない女友達と2人でハワイとニューヨークに旅行し大パニックになったお話しをメインに、どのような学びがあったのか!?
どうぞお付き合いください。
わたしの仕事と海外旅行にはまる経験
わたしはザ・リッツ・カールトン大阪という外資系ホテルの開業スタッフとして入社しました。
社会人になって1年ですぐに長期休暇を取り、ハワイのマウイ島にあるカパルアという場所へ、2年目にはニューヨークへ行ったその経験がわたしの人生を大きく変えたのです。
今考えるとよく長期休暇が取れたな!と思いますが、外資系企業の強みでもありますね。
それまでにも学生時代は多くの海外旅行に行ってきました。先にその時の話を。
わたしは一流のホテルマンになりたかったので、ホテル専門学校に2年通ったのですが、その時に研修旅行として、海外の一流ホテルに宿泊するという経験をさせてもらいました。
はじめての海外は専門学校1年生のとき、シンガポール。
その翌年2年生は、ラスベガス・サンフランシスコ・ハワイへ。この時はリッツへの就職が内定していたので、ザ・リッツ・カールトン サンフランシスコにも足を運び挨拶にも行きました。
学生時代は多くの海外旅行に行きましたが、あくまで学校行事。ほとんど自由行動ではありましたが、旅程は決められていて先生もいて学生という守られた環境での旅行です。
しかしこの経験があったことで、海外に強く興味を持つこととなりました。
ただ学校行事なので英語が対してできなくても、困ることもなく。このときに英語に対する苦労や焦りがなかったことが、のちに社会人になってとても苦労することに…。
そして入社後、毎日朝から晩まで英語漬けの日々が始まりました。
わたしは宿泊部に配属されたので、レストラン部門の方よりもはるかに英語力が必要でした。
入社1年目は仕事を覚えることよりも、英語で理解することの方が大変すぎて寝込みそうなくらい。夢も英語、何もかも英語でうなされます。
しかし、1年経ちわたしも長期休暇をもらえることになりました。
そこで、専門学校からの仲で同じリッツの同期である親友と女2人旅に行くことに。
若い頃に海外に行くなら、ぜひ個人旅行をしてください。
ホテルも飛行機もレストランも全部自分で予約して手配するのです。
旅行会社のプランなら全部パックになっていて楽ですが、その分高額になります。自分で取ったほうがかなり安く、しかもよいホテルに宿泊できます。
このときは、飛行機はできるだけ早い時期に早割プランをネットで予約しました。
ホテルは従業員割引があるので、マリオット系列のホテルを格安で予約できます。これはホテル業の大きなメリットです。部屋もグレードアップしてくれて最高です。
レストランは普通は現地で決めるのですが、行きたい高級レストランがある場合は先にネット予約をしておきます。よくわからない場合は、宿泊先のホテルに直接メールをして、予約したいが手伝ってほしいと依頼すれば、なんでもお手伝いしてくれます。
困った時に助けれてもらえるのが、一流ホテルに宿泊する価値でもあります。たとえ学生であっても今はネットで比較的安く泊まることもできるので、ホテル選びは奮発してみるとよい経験になります。一流な空間に身を置く経験を積むと、その場に合う人になっていきます。これも自己投資です。
入社1年目にハワイ・マウイ島へ
入社1年目、21歳のとき。
ハワイのマウイ島にあるザ・リッツ・カールトン カパルアに行きました。社員割引で高級リッツに激安で宿泊!
ハワイですが、マウイ島は高級リゾート地で日本人はほぼいません。日本語は全く通じない場所です。
リッツでは記念にとフレンチレストランに行きました。社会人なりたてのわたしたちは、コースがなくてよくわからず、メニューの中で選ぶものを全部選びました。
サラダ?前菜?どれにする?スープは?魚は?肉は?デザートは?
全部山のようなボリュームで出てきました。前菜はメインみたいな量で、スープはオニオングラタンスープの巨大サイズ、もうこれ一つで満腹レベル。
2人が全部を選んだので、想像を超える量です。
リッツといえば、このブルーゴブレット。世界共通のグラスです。
メニューの中で全部を選ばず、好きなものだけ選べばよかったのに、なぜ全部選んじゃったのか。若いって怖い。そしてリッツなのに、スタッフは「多いよ」ってなんで言ってくれなかったのか。
リッツの思い出は、吐きそうなくらい限界まで食べたのに残してしまった罪悪感と、高級フレンチの味が全く記憶に残らなかった残念さです。
数日リッツに宿泊し、後半はコンドミニアムという別荘棟(ヴィラ)に宿泊したのですが、これまた恐怖。
初日はまずヴィラまで車で送迎してもらったのですが、休憩したのもつかの間。
広い敷地にポンとある別荘、入り口までは遠くて歩けない、どうするんだ!?
今みたいにスマホじゃなくて、ただの携帯電話しかない時代なのでググれず、部屋の資料を探すもよくわからない。
このときはもっと英語ができなかったので、これまた数時間パニック。電話でなんとか通じたのか、車でお迎えにきてくれました。電話したら送迎してくれるシステムだったみたい。
一瞬、ずっと閉じ込められるのかと思っちゃいました…。
入社2年目にニューヨークへ
次はニューヨークに行ったときの話ですが、ハワイと同じメンバー女2人旅。ハワイから1年後、入社2年目のことです。
親友は同じリッツに勤務していますが、苦手すぎて英語ができなくて、入社1年で猛勉強したもののまだまだ英語に不安があるわたし。
一番困った経験は、やっぱりこれです。
ネイティブの英語スピードについていけない事件連発!
ニューヨークの朝、ビジネスマンばかりでごった返したカフェでのこと。
注文するのに長蛇の列、そこに子どもみたいな女2人が並びました。
まだレジに到着していないのに、途中からスタッフがどんどん注文を聞いてくるのです。
えええ!メニュー見てないし、なにがあるかわからないし、しかも超早口!!
大パニックになりながら、とにかくコーヒーを2つ、適当に目に見えるパンを指さして、なんとか朝食にありつけました。
ニューヨークは夜もパニックです。
昼間は何度か地下鉄(メトロ)に乗ったのですが、夜は怖すぎて女2人では乗れませんでした。
仕方なく黄色いタクシーを探すものの、人が多すぎてどれも満車でタクシー拾えず。
時間がどんどん過ぎて、NYなのに深夜になってきました。当時のNYはまあまあ荒れていましたから、怖いのなんのって。
とりあえずお腹が空いたので、マクドナルドで購入してホテルに持ち帰ることにしました。
英語で持ち帰ることをなんて言うかご存じですか?
昔は「take out」しか知らなかったんですよね。イギリスはtake awayといいますが、アメリカではtake outはあまり使われず「to go」と言います。
今ではポピュラーになった言葉ですが、to goを知らなかったわたしたち。
しかもマクドナルドのスタッフはアメリカ人ではない人が多く、しかも適当。
take outと伝えても、「は?!」みたいな全然聞いてくれず放置したりするんです。
家に持って帰ると言っても、ポテトも頼むか?とかドリンクはなんだ?とか、全然こちらの話を聞いてくれない。ただただ伝わらない恐怖…。しかも深夜。
その後の記憶は全くありません。
結局、電車で帰ったのか、タクシーを拾えたのか?
マクドナルドは持ち帰ったような気はするのですが、恐怖体験が記憶からごっそり消えました(笑)
そこで学んだことは、ネイティブの英語は早すぎること、日本では使っているカタカナ英語は通用しないということ。
日本でなんとなく英語ができているように感じるのは、日本だから外国の方がゆっくりわかりやすく話してくれていただけのことでした。
こういう経験って、ツアーじゃ体験できないし、個人で旅行を計画するところから、すべての学びがはじまるのですよね。
結局、ニューヨークでは友達が現地の情報収集をして、わたしがつたない英語力で現地で喋り、2人でひとつ(ニコイチ作戦)で乗り切りました。
9.11テロ事件があったワールド・トレードセンター(WTC)、エンパイア・ステート・ビルや自由の女神にも行けました。
しかもブロードウェイでミュージカル「オペラ座の怪人」まで見ちゃいました。
ミュージカルはもちろん全部英語、事前に話の内容はチェックしていきましたが、全然わからなかった(笑)
日帰りでNYから飛行機にのってカナダへ、ナイヤガラの滝も見に行きました。
今も大好きですが、やっぱりこの頃も好きだった美術館。NYのメトロポリタン美術館にも行き、ピカソも見てきました。
22歳ですごくないですか。ほんとよくやったな~って思います。
今も思うことは、日本でのんびり英語勉強をしててもダメだということ。
わたしが英語学習でもっとも重視しているのはスピード。
「Nas Daily」で学んで、オンラインでもいいので外国人とちゃんと会話する機会を得ることです。日本にいる外国の人は、ほんと優しいからゆっくり喋ってくれてる事実を知ることです。
こんなにパニックだらけの個人旅行。
※NYで知らない外国人に絡まれたときの写真
これに懲りず、管理職になるまでは毎年海外旅行してきたわたしです。
その後、管理職になってからは全然休みが取れなくなり、退社してからは子育て。
若いうちに行っといて本当によかったです。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
では、また明日。