1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災。
今日で29年、6434人が亡くなりました。
神戸では、毎年1月17日に「阪神淡路大震災1.17のつどい」を、神戸市中央区の東遊園地で行っています。
わたしも毎年、東遊園地へランニングで行き、祈りを捧げています。
今年は元旦に能登半島地震がありましたから、より多くの方が「阪神淡路大震災1.17のつどいの会」に参加しました。
子供たちの明るい未来のために、忘れない。
今思うことを、わたしの言葉で記録しておきたいと思います。
阪神淡路大震災1.17のつどい
能登半島地震による死者は1月17日の時点で、災害関連死14人を含む232人と発表がありました。
安否不明者もまだいますし、住宅被害は2万2374棟が確認されました。
今年の1.17つどいの言葉は、ともに。
能登半島地震で受けた多くの悲しみ、そして復興まで長い道のりを歩むであろう被災地のみなさんに、わたしたち神戸人は心を寄せています。
神戸にできること。
私たちだからこそできること。
ともに歩んでいけるように。
神戸市広報
能登半島地震の被災地に、神戸市から救命救助や避難所の運営など現時点で100人を超える市職員が派遣されているそうです。
「1.17つどいの会」での募金の一部も、能登半島地震の被災地へ寄付されます。
わたしも毎年も寄付をさせていただきました。
ボランティアの方に「ありがとうございます」と言われたのですが、わたしのほうが感謝ですので、ろうそくを受け取りながら手を合わせました。
深くお辞儀を返していただき、涙が出そうでした。
毎年つどいの会を開催することは、大切な方を亡くされた方にとっては、心の支えだと思うのです。
忘れない、つなぐ。
この時期は神戸の人はみんな、地震当日はどこにいたのか、どんな状況だったのか、自分の経験を語り合います。
今日伺ったお話ですが、ある方は地震の4日前に引っ越しをされたそうです。海側の木造一戸建てから、山手のマンションへ。
地震後、海側の一戸建ては崩壊してしまったそうで、引っ越しをしたことで助かった命。
生かされた。そう思えてなりませんね。
毎年つどいの会に足を運ぶことができることにも、感謝です。
大好きな神戸の人々、石川県の人々、すべての人の悲しみがどうか救われますように。
なにができるのかと自分に問う
能登半島地震で、多くの人が思ったことでしょう。
「今、自分になにができるのだろうか」
わたしなら…
寄付すること、1.17のつどいに足を運ぶこと、祈ること、子どもたちに語り続けること。
そして、今を生きること。
つどいの言葉にあるように、やっぱり「ともに」なんです。
ともに生きていく。
被災地の復興まで、本当に長い年月がかかります。
石川県への寄付も一回ではなく、できる人ができるだけ続けていくこと。
SNSをしていると、いろんな人の意見が勝手に目に入ってきます。
「募金は黙ってしろ、したとわざわざいうな」とか。
被災者ならどう思いますか。
「募金したよ!ともに頑張ろう!」ってSNSで見ると嬉しくないでしょうか。
黙ることが美徳のような考えは古いです。
募金をしたというSNSをみて「わたしもやろう」と募金の輪が広がることで被災地にお金が流れるので、とても意味があります。
できる人ができるだけでいいのですから。
わたしは年間通して募金するようにしています。
例えば、買い物はカードで払うのでどんどん貯まる楽天やdポイントはネット経由で寄付しますし、臨時収入があればさらに募金するし、お店のレジに募金箱があれば入れます。
ウクライナへの寄付も何度もしてきました。
もっと募金したい(笑)石川県へ募金としてふるさと納税もします。
先日も息子と無印良品で買い物をしたとき、レジに能登半島地震への募金箱があったので、息子自ら「募金したい」と言ってきました。
今までわたしがよく募金箱にお金を入れているのを、横でずっと見てきたんでしょう。
募金することって、経験の積み重ねなのかもしれません。
なにもできないけど、なにかはできる。
他者のためでもあるけれど、自分のためでもあります。
少しなにかできた自分。
日々まわりの人に感謝を感じることで溢れていて、わたしはどのようにすればお返しできるのかわからないくらいなんです。
わたしのお返しのひとつが、寄付ということなんです。
今年は4年ぶりに神戸ルミナリエが開催されます。
阪神・淡路大震災の記憶を後世に語り継ぎ、神戸の希望を象徴する行事です。
ぜひみなさんも神戸へ遊びにきてください。
では、また。