先日、三重県の伊勢へ旅行をしたときのことです。
わたしは伊勢神宮(内宮)へいく前に「夫婦岩」へ行ったのですが、ここでハプニングがあり頭から海水をかぶってすごいことになりました。
日本で一番といわれる伊勢にお参りしにきたのに「散々ではないのか?」「お伊勢さんパワーはウソなのか?」と感じずにはいられないできごとでした。
あまりにもびっくりな体験だったので、この経験をわたしなりに考察したいと思います。もし自分だけが不運に思えるできごとがあったと思う方、パワースポットはウソなのか、と思う方は読んでみてください。
夫婦岩でハプニング!
三重県にある夫婦岩は、日の出を遙拝する場所として知られています。
夫婦岩のそびえる二見浦海岸には「二見興玉神社」が鎮座しています。
伊勢神宮へお参りする前に「二見興玉神社」をお参りして穢れ(けがれ)を落とし、浄化した心身で臨むのが、古来からの正式な参拝だそうです。
わたしたちは詳しく知らなかったのですが、伊勢神宮(内宮)が混雑していたので明日にして、先に夫婦岩を訪れたのです。
ポイントは、「二見興玉神社」は強力な浄化力をもつ海の神社だということ。
昔はこの海で禊(みそぎ)といって、水浴して身体を清める宗教儀礼をしていたそうです。海水に浸かったりかぶったりして、心身の垢を落とすことです。
現在は難しいので、丸い縄(300円)が置いてあり身体を撫でるようにして浄化します。
しかし…わたしは自然の力により、禊(みそぎ)をやってしまいました(笑)
確かにその日は強風で波が荒かったのですが、あまりにも美しい夫婦岩を撮影していると、なぜかそのタイミングで激しい波打ちが!!!
頭から海水をかぶった時は、あまりのパニックで叫ぶ!ぎゃー!!!
写真で見た感じ以上にずぶ濡れです。頭のてっぺんから、靴の中まで。ジーパンなんて簡単には乾かないのに!
で、問題はその後です。
わたしたちはあまりのすごいハプニングに笑いが止まらなかったのですが、その後同じ場所でずーーーっと写真を撮っている方がいるんです。もしかして波にかかりたいの?くらい。
でも、どれだけそこで待機しても、かからないんですよね~。
アホみたいに水を浴びたのは、わたしだけでした(汗)
風邪を引いてはいけないので、その後太陽がサンサンと輝く海辺で日光浴をして、頭が海水でボサボサになったけれど、着替えなくても大丈夫なくらいに乾きました。
ハプニングの意味を深掘りする
わたしは複雑な気持ちで考えました。
なぜわたしにだけ起きたのだろうか?
なにか厄落としをするべきことがあるのだろうか?
ハプニングを予想するかのように動画を撮っていた妹によって、記録として残った意味は?
日本で一番のパワースポットと呼ばれるお伊勢参りの一部であるこの場所で、どんな意味をもってわたしはずぶ濡れになったのだろうか。
多分ブログを書く前のわたしなら、この出来事を深く考察することはなかったと思うんです。
出会いが必然であるように、できごとのひとつひとつに意味があり、その意味を深掘りすることで、得ることがあると感じるのです。
その時は意味はわからなかったし、旅行はもちろん日常でもド天然だからこそ事件は起きているので、そのひとつかな?ととらえていました。
このハプニングがあったおかげで、母と妹と訪れた伊勢の旅は二度と忘れることのできない、思い出深い記憶となることは間違いないのですから。
翌日は無事に伊勢神宮(内宮)へ早朝参りをすることができました。
問題は自宅に帰ってからです。
帰宅した夜から具合が悪くなり、翌日・翌々日の丸2日間、わたしは風邪で寝込みました。
多分海水丸かぶり事件と、早朝参りで身体が冷えたこと、ここ数日ずっと忙しくて疲労が溜まっていたことなどが原因かと思います。
お伊勢参りをしたあと風邪を引いてしまったので「全然パワーもらえてないやん!」と言われました。確かにその通りです、寝込んでしまったんですから。
でもその風邪を引いている時に、この意味を知ることとなりました。わたしに不思議なことが立て続けに起こったのです。
それは数年間、コロナにより人との出会いから遠ざかっていたわたしに、もう何年も会っていない人から立て続けに連絡がきたことです。
1人、2人ではなく、毎日何人もの人から連絡が入りました。関西の方だけではなく、東京や海外からも!!
そんな毎日毎日連絡が来ることって、普通はあり得ないと思うんです。
海水をかぶって浄化されて、お伊勢さんパワーでこの数年間閉ざされていた人間関係が急に再開したのです。
コロナにより人に会う機会が一気に減ってしまって、それはそれで閉ざされた狭い狭い人間関係の中で好きな人だけに囲まれて過ごす数年間は幸せでもありました。
けれどこのままではいけない、そういう気持ちも少なからずわたしの中にはあったはず。そこに気付いているけれど、行動に移せなかったのは生ぬるい今の環境に満足していたのかもしれません。
人との出会いは必然、そうわかっているけれど、わたしに新しい出会いはなかった。求める気持ちがなかった。出会いがないということは、新しい風は吹かないわけで悩みもない代わりにワクワクする機会も減っていくということ。
その風を吹かせてくれたのは、今回の事件がきっかけになったに違いないと思うのです。
早速、数年ぶりに友人と会えることになりました。こうして数年続いた内向的な生活に終わりを告げ、本来持っている外向的な自分が発揮できるようになればうれしいです。
これからの1年はできるだけたくさんの人に直接会って、話をして、もっと成長できたらと願っています。
不運は本当にツラい場合は、心の中にとどめておくのではなく、流して思い出さないことで時間が解決してくれる場合があります。今回のように、不運のように思えることも、それはどんなメッセージなんだろう、と自分なりに深掘りして考えてみると、意外な発見があるかもしれません。
どちらにせよ、身に起こることは何かしらの意味があるので、ポジティブにとらえられるといいですね。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。では、また。