コラム

正しさに縛られていないか

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今年一年を通して思うことのひとつに、正しさに縛られていないか、ということがあります。

正しさというのは、世間一般にいう正論であったり、他人からみてこうであるべきだということだったり。

正しさは正しいのかもしれないけれど、そこに縛られていると生きづらくなる、もっと言うと、大事なことに気付けない人生になるのではないかと。

もっと正しさから自分を解放すると、楽になるんじゃないかって思うんです。

今日は、正しさについて。

正しさに縛られていないか

正しさってなんだよ。

って思うひとつの例ですが、「遅刻」って正しくいうとしちゃいけないです。

最近のことなんです。

朝歩いていたら、遅刻して登校している姉妹の小学生とすれ違いました。

遅刻なので正しくいうと、もっと早く親が起こすなり、もっと急ぐなりしたほうがいいんじゃないの?ってなるんですけど、正しさから一歩引いて彼女たちを見ると、違った背景を感じることができました。

妹はほぼ寝ながら歩いていたんですよね。

姉は朝が苦手な妹を連れて、一緒に遅刻して登校したわけです。

わたしは、彼女たちをみて、涙が出そうでした。

というのも、わたしは遅刻に関して過去に正しさを持っていたことを思い出したから。

ものすごく前の話ですけど、近所の小学6年生が毎日遅刻して登校するのをみて、なぜ親は起こさないのかな?って不思議に思っていました。

6年生なので、低学年や新一年生を誘導する立場であるのに、頻繁に遅刻するのはなぜだろうって。

子育てに未熟だったわたしは(今もそうだけど)朝が苦手な子供がいるということや、遅刻するから将来ダメな大人になるわけでもないということを、想像できなかったんです。

先ほどの姉妹の話ですが、姉だけ先に登校することだってできたはず。

遅刻してでも、寝ぼけた妹を一緒に連れて学校へ行く。そこには、正しさからは気付けない姉妹愛、そして親の愛があるんです。

正しさに縛られすぎると、自分だけでなく、子供の世界すら狭めてしまうことになる。

世の中には、そのようなことがたくさんあって、常識でいうと正しいことかもしれないけれど、それが人生において、間違っていることだってある。

どちらかというと、正しさよりも自分がどう感じるかとか、明日死んだとしたらどう行動するか、を優先したほうが自分らしい選択ができるように思えてならないんです。

もしあなたが、いま言葉にできないモヤモヤや疲れを感じているなら、自分が感じている「正しさ」を疑ってみてほしい。

正しさに縛られ過ぎると、苦しくなるのは自分なんだから。

ちょっと人と違ってもいいから、なんなら違うくらいで生きた方が、苦しいときもあるかもしれないけれど、わくわくしたり楽しいことが増える。

そんなことを、この一年すごく感じた年になったんです。

今年もあと少しとなりました。

あなたの正しさを縛るものを、ちょっと横に置くことができるといいですね。

では、また。

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Yumi Miyai
<Webライター・ブロガー> ザ・リッツ・カールトン大阪で11年勤務後、2児の母に。 「好きなことだけして生きる」をモットーに、キレイは運動と心で叶うコツを発信しています。

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